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第6章 幾望(きぼう)

(……どうして? どうして……笑うの――? )

雅の大きな黒い瞳に映りこむ月哉の表情は、紛れもない笑顔だった。

雅は生まれて初めて月哉の顔を見たくないと思い、その思いにもショックを受けて、目を伏せた。

(自分と他の男との縁談を喜ぶ、お兄様の顔など――)

月哉は雅のベッドに腰掛け、ぎゅっと雅の身体を抱き寄せた。

暖かい、雅が唯一幸せを感じることが出来る、兄の胸の中――。

(…………や……めて……)

「……いい妹だよ、お前は」

雅の耳元で、兄が少しかすれた声で小さく甘く囁いた。

(やめて――っ!)

雅は力の入らない体をそれでも精一杯固くして、月哉の柔らかな抱擁に反発する。

「社長……そろそろ……」

控えめに退室を促す声で、雅は初めて月哉の忠実なる秘書の東海林が居ることに気づいた。

「おっと、雅、体調悪いのだったね、そろそろ行くよ。ちゃんと夏バテ克服するのだよ」

雅の頭を撫でると、月哉は部屋から出ていこうとする。

「あれ、喉が乾いていたのか?」

月哉は雅がずっとコップを握りしめているのに気付き、水差しを取りコップに注ぐ。

「………………」  

ピクリとも動かない雅を見て月哉は何故か笑い、優雅に眼鏡を外して胸ポケットにしまう。

雅の手からコップを取りあげてぐいと水を口に含んだと思うと、兄は雅の顎を掴み、口移しでそれを妹に含ませた。

ゆっくり離れていく月哉の濡れた唇を、雅は魅せられた様に視線で追う。

ごくり。

透けるほど白く細い喉を鳴らし、雅はそれを臙下(えんげ)した。

「いつまでたっても甘えん坊だな」

月哉は薄くなった妹の頬を軽くつねると、今度こそ出ていった。

「………………」

嵐のように月哉が去っていった後には、先程までのしんとした静寂が訪れた。

ぱた。

手の甲に熱い涙が落ちる。

ばたばたと涙は留まることを知らず、黒く大きな瞳から溢れ落ちる。

心が千々に砕け散り、消失したかのように、もう何も考えられなかった。

雅は嗚咽を殺しながら静かに涙を流し続け、このまま涙に溺れて死んでしまえればいいと思った。

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