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夜明けまでのセレナーデ
第10章 僕の運命のひと
「薫様。鷹司様がお見えになりました。
どうか広間においでください」
密やかにノックをしながら、部屋の扉を開ける。

「…ああ、今行く」
上質の黒燕尾服を身に纏った薫は、大きな姿見の前でホワイトタイを結んでいる最中であった。

泉は微笑みながら近づく。
「相変わらず、タイを結ぶのはお苦手でいらっしゃいますね」
むすっとした表情の薫が泉を見上げる。
「夜会は嫌いだ。
堅苦しいし退屈なだけだ。
戦争が終わって貴族の称号が無くなって、漸く夜会やらお茶会やらから解放されたと思ったら…お母様が余計なことを…」
「…お貸しください」
ぶつぶつ愚痴る薫からタイを受け取り、前に回る。

「…奥様は菫様のこともお考えになって、夜会を開かれたのでしょう」
「菫?」
「菫様はずっと軽井沢暮らしでいらっしゃいました。
…お小さい菫様は薫様と異なり、華やかな貴族のお暮らしをあまりご記憶ではありません。
…奥様はきっと、貴族の身分が無くなっても菫様に貴族としての精神や矜持をお示しになりたいのだと存じます」

鮮やかに美しく結ばれたタイを薫は満足げに眺める。
「…ふうん…」

「…泉はさすがだな。
僕以上にお母様のことを分かっているね」

泉は和かに微笑み、衣装ブラシで薫の上着の肩を軽く払ってやる。
「…長年お側におりますから…」

…さあ…と、姿見の中の薫に眼を細める。
…煌々しいまでの美麗な青年が、絵画から抜け出したかのように佇んでいる…。


「お美しいですよ。薫様。
…どんな貴公子でも薫様のお美しさには敵いません」

…そうして、優しく付け加える。

「…暁人様がご覧になったら、きっとお声も出ないほどに感動されることでしょう」

薫は泉を見上げ、唇を引き結ぶ。
「…そんなことを言ってくれるのは、もう泉くらいだ。
最近は皆、暁人の話もしなくなった…」

…まるで触れてはならぬことのように、話題にすら登らない…。

俯く薫の身体を、泉が優しく引き寄せた。
「…大丈夫です。
暁人様は、必ず薫様のもとにお帰りになります」
泉の腕の中で、華奢な身体がびくりと震える。
「…そうでなかったら、私が許しません。
私の大切な薫様を悲しませるなど、あり得ませんからね」

「…泉…」
薫はゆっくりと貌を上げると、いつものように勝気な小悪魔めいた眼差しで笑った。
「もし帰ったら、散々説教してやってくれ」




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