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千一夜
第54章 第七夜 最終章 真空のゆらぎ
 冷気が私の体に体当たりしてくる。息を吸うと氷の結晶が、肺の中に入り込んでくるようだ。でも悪くない。冬の京都はこういうものなのだ。
 奈良の旅が蘇る。薬師寺も醍醐寺も、そして天川も私と咲子を優しく迎えてくれた。できることなら咲子と二人で弥勒菩薩の前に立ちたかった。
 私は一人で新霊宝殿に向かった。
 悲しいかな私は観光に来たのではない。江村都子と対峙(これは言い過ぎかもしれない)するためにここに来たのだ。心の中で燻る疑問を解決しなければ、私は前に進むことが出来ない。
 腕時計を見る。時間は午後の二時二十分だった。約束の時間は三時。私はそれより前に弥勒菩薩の前に立ち、江村都子を待つと決めていた。
 弥勒菩薩半跏思惟像、通称宝冠弥勒。大昔、教科書か資料に載っていた弥勒菩薩。一歩一歩私はその弥勒菩薩に近づいていく。胸がドキドキする。何だか好きな人に会うような感じ。それでいて何だか怖いような感じ。
 私は清廉潔白な人間ではない(政治家としてではなく一人の人間として)。雑念も抱くし、怒りも覚える。そういう人間が弥勒菩薩の前に立てるであろうか。目を逸らさずに宝冠弥勒と向き合えるだろうか。
 弥勒菩薩の前に立つ。両手を合わせて私は心の中でこう言った。
「参りました」
 と。
 目を瞑る。言葉を放棄して無心になる。静寂の中で何かがゆらいでいる。私はしばらくそなままの格好でいた。
 両手を合わせたまま目を開ける。
「ドイツの哲学者カール・ヤスパースは『人間実存の最高の姿』だと言っているわよ」
 後ろから江村都子の声がした。
「美しい」
 私は江村都子に背を向けたままそう言った。
「人間が?」
「その通りだ。歓喜の叫び声をあげる人間も、苦悩を抱える人間もすべて美しい」
「恨みや妬みは美しいの? 亮ちゃんは哲学者にはなれないわね」
「だから人間は救いを求めるんだ。こうやって菩薩様に手を合わせて人間の本質に近づいていく」
「そんな答えじゃ宗教家にもなれないわよ」
 声は後ろからではなく、私の左側から聞こえた。私の隣に江村都子がいる。
「俺は○○街の市長だ」
「ダンヒルのコートはカシミヤね。靴は……クロケット&ジョーンズ。市長さんは高給取りなのかしら。でも似合ってるわよ」
「コートは妻から、靴は義父から贈られたものだ。それより教えてくれないか?」
「何?」
「君は京子ちゃんだよね?」
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