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恋人岬には噂があった
第2章 第2話
このときの野上は、相手を呼び出したときから冷静だった。
俺の金で得た物は全て売り払い、当然足りない金は家も売却し、貯めてある金と合わせて、手切れ金として幸江に渡すことに同意させた。
それでもさらに問い詰めると、一千万円以上はあると幸江の両親は白状した。だが信用できない。幸江を呼び出し、弁護士を介入させることに同意させた。
これで二度と相手にすることはない。あとは幸江と弁護士に任せればいい。野上の頭に、由香と自分の両親が浮かんでいた──。
結婚当初から、幸江が花を飾ることは一度もなかった。それでも疲れた体でアパートに戻れば、草花が飾ってある。近所の土手で草花を摘んでいる幼い由香が浮かび、あの頃の野上はずいぶん癒やされたことである。
離婚後、野上はアパートを引き払い、由香を連れて定義の家に身を寄せた。そして懸命に働いた。
それから四年後、運送会社を辞めるときには、社長室に出向き礼を述べた。
社長は立ちあがり、うちに来るドライバーは、君のように目的があってやる気のある人間ばかりなんだ。私はそういうドライバーを雇って来た。私は間違っていなかった。野上君、長年頑張ってくれて感謝している。娘さんは由香ちゃんだったね。これからも二人で頑張るんだ、と言ってくれた。
会社の帽子を手にして、社長の前に直立している野上は、込み上げる思いで胸が熱くなっていた。
そのとき社長が、ありふれた言葉だがと言って、野上の帽子に書いてくれた言葉がある。
〈そして今がある。野上君、由香ちゃん、頑張るんだぞ! 西村啓一〉
その帽子は、この家のリビングに飾ってある。
「ねえ、お父さん。舞鶴に行ったときには、波止場に潜水艦がいくつも見えたよね」
リビングのソファに腰かけて珈琲を口にしながら、そのころの道路地図を開き、野上は由香と話し込むこともある。
(三)
野上は湯船を出て、頭を洗い始めた。
洗っていると、自分の部屋に下着を干し終えたのだろう。階段を下りて来る由香の足音が聞こえた。突然、スリッパの音が大きく聞こえて来た。由香の声も聞こえて来る。
「お父さん大変。事件だよ、事件。大事件だよ」
と、ドアが開いて由香が洗濯機のそばに来た。よほどの大事件らしい。
「サッシ開けるけどいい? お父さんに関わる大事件なんだ」
俺の金で得た物は全て売り払い、当然足りない金は家も売却し、貯めてある金と合わせて、手切れ金として幸江に渡すことに同意させた。
それでもさらに問い詰めると、一千万円以上はあると幸江の両親は白状した。だが信用できない。幸江を呼び出し、弁護士を介入させることに同意させた。
これで二度と相手にすることはない。あとは幸江と弁護士に任せればいい。野上の頭に、由香と自分の両親が浮かんでいた──。
結婚当初から、幸江が花を飾ることは一度もなかった。それでも疲れた体でアパートに戻れば、草花が飾ってある。近所の土手で草花を摘んでいる幼い由香が浮かび、あの頃の野上はずいぶん癒やされたことである。
離婚後、野上はアパートを引き払い、由香を連れて定義の家に身を寄せた。そして懸命に働いた。
それから四年後、運送会社を辞めるときには、社長室に出向き礼を述べた。
社長は立ちあがり、うちに来るドライバーは、君のように目的があってやる気のある人間ばかりなんだ。私はそういうドライバーを雇って来た。私は間違っていなかった。野上君、長年頑張ってくれて感謝している。娘さんは由香ちゃんだったね。これからも二人で頑張るんだ、と言ってくれた。
会社の帽子を手にして、社長の前に直立している野上は、込み上げる思いで胸が熱くなっていた。
そのとき社長が、ありふれた言葉だがと言って、野上の帽子に書いてくれた言葉がある。
〈そして今がある。野上君、由香ちゃん、頑張るんだぞ! 西村啓一〉
その帽子は、この家のリビングに飾ってある。
「ねえ、お父さん。舞鶴に行ったときには、波止場に潜水艦がいくつも見えたよね」
リビングのソファに腰かけて珈琲を口にしながら、そのころの道路地図を開き、野上は由香と話し込むこともある。
(三)
野上は湯船を出て、頭を洗い始めた。
洗っていると、自分の部屋に下着を干し終えたのだろう。階段を下りて来る由香の足音が聞こえた。突然、スリッパの音が大きく聞こえて来た。由香の声も聞こえて来る。
「お父さん大変。事件だよ、事件。大事件だよ」
と、ドアが開いて由香が洗濯機のそばに来た。よほどの大事件らしい。
「サッシ開けるけどいい? お父さんに関わる大事件なんだ」