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恋人岬には噂があった
第2章 第2話
 野上はダイニングに入ると、テーブルに眼を向けた。料理が並べてある中で、真っ先に眼についたのは、スライスした玉ねぎの上に盛りつけられた、厚切りカツオのたたきである。野上は、そのカツオにただならぬ予感がした。それでも、落ち着いた態度でテーブルのイスに腰かけた。
「由香、このカツオのたたきは?」
「私のバイトが終わってから、健太から電話があったのよ。今日は大漁だったぞって。だから持って来てくれて、庭にドラム缶出して調理までしてくれた。近所の奥さんたちも喜んでた。帰りにお爺ちゃんとこにも持って行くって」
 由香はそう言って、冷蔵庫から缶ビールを取り出し、コップも持って来ながら、涼しげな顔である。
「また健太か。由香、ヤツには注意しろ。健太はそうやって周りの者から落として、由香の気を引こうとしてるんだ。手を握ろうとして来たら拒否しろ。握手もダメだ」
「なに言ってるの、お父さんを見てれば分かるのよ。本当は健太を気に入っているんでしよ? はい、ビールついであげる」
 由香はテーブルの向かいのイスに腰をおろして、気にもとめない様子でビールをついでいた。
 健太は、漁師の山下の息子で、誠実な青年だった。高校卒業と同時に山下の船に乗り、いまは独り立ちして漁師として働いている。幼なじみの山下から息子が独り立ちすると連絡があったときには、野上は山下の家に出向き祝ったことである。当然、由香と健太も幼いころから仲が良かった。
 しかし、野上は昨年末、平然としてはいられないことを目撃していた。
(──あんなに太い物が)
 昨年末のその日のことである。野上と由香は、山下の家族とともに箱根の温泉宿に一泊どまりで訪れた。山下は四人家族で妻と、息子の健太、健太の妹の亜紀である。
 ──その日の夜だった。
 野上は、自分の物は太いと自負がある。しかし、浴場では謙虚にふるまうように心がけていた。
 だが、連れだって浴場に入ったとき、山下の物は人並みだが、野上と同様に謙虚にふるまう健太の物は、自分と同等かそれ以上にみえたのだ。
 今、娘からビールをついでもらったコップを手にしている野上には、それが気がかりだったのである。
 あんなに太い物は忘れるのだ、と野上は心の中で頭を振った。
「ほら、お父さんもついであげるよ」
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