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『帰り花の夜に』~義母の静謐なる背徳
第8章 義息~超えてはいけない境界線(7)
「美香、起きろ。目を覚ますんだ」

その声は、どこか遠くの乾いた砂漠の底から響いてくるように低く、平坦だったが私の意識の浅瀬を規則的に揺さぶる。

「パパ?……何?」

重い瞼をゆっくりと持ち上げた瞬間、夫の輪郭は、十月の早朝に海から吹き寄せる冷たい霧のように、音もなく、そして呆気なく散り失せてしまった。厚手の遮光カーテンの隙間からは、まだ誰の名前もついていないような、深海じみた青い光が部屋の隅々に澱んでいた。

ただの夢だったのだ。私は深く息を吸い込み、古い肺活量計を試すようにゆっくりと吐き出した。

ベッドサイドのデジタル時計は、緑色の無機質なフォントで六時ちょうどを告げている。五時にセットしたはずのアラームが鳴った記憶はどこにもない。そこには一時間の、完璧で滑らかな空白があった。

ドアのわずかな隙間からは、すでに一日の始まりを告げる匂い――少し焼きすぎたトーストの炭素の匂いと、昆布出汁の効いた味噌汁の立ち上る湯気が混ざり合った、家庭という名の親密で閉鎖的な匂い――が侵入してきていた。

スリッパを鳴らさないようにドアを押し開ける。広いリビングの向こう、磨き上げられたステンレスの調理台の前に葉月が立っていた。

「葉月、ごめんなさい。完全に寝坊しちゃった。今から代わるから、そこに座ってコーヒーでも飲んでいて」

私は小走りにキッチンへ向かい、冷蔵庫の側面に掛けられたリネンのエプロンに手を伸ばした。

「ママ、いいってば。どうしてそんなに慌ててるの? 今朝は私が全部作るから、もう少しゆっくりしてなよ」

葉月はテフロンのフライパンから目を離さずに言った。その声は朝のFMラジオから流れるポップソングのように明るかったが、耳を澄ませば、連日連夜の育児と、キャリアを一時停止させていることによる微かな疲労の沈殿物が、コップの底の沈砂のように感じ取れた。それでも彼女は、世界に対して完璧な微笑みを差し出すことをやめない。

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