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第1章 錆
 羽音がする。
 唇が首筋にうつったときから、石鹸の泡が手のひらから流れ落ちた時から、ずっと耳の中に響いてた。
 ジージージーって羽を鳴らす音が響いていた。


 部屋のどこかから聞こえてくる。
 汚れた茶碗と皿が積み重なった洗い桶の上。
 折りたたみ式のてかてかした食卓テーブルの上に放置された食べかけの卵かけご飯が入ったプラスチック製の茶碗の端。
 畳の上に広がった丈の長すぎる毛玉だらけの分厚いカーテン。
 埃かぶった化粧台に転がるフタもしてない欠けた赤い口紅。
 このあと取り掛かる宿題の算数ドリルと数学テキスト・・・。
 いや、もしかしたら、さっき使った小さいタイルと小さい浴槽の風呂場の排水口の中。
 それとも、あの、ヘアピン型した、錆の。


 暗闇に慣れた目で、羽音の居所を探している。
 ねぇ、どっかに虫がおるよ。
 チャコールグレーの空間、汗ばんだ肌、布団を湿らす濡れた髪。
 ジージー言うて、飛んで、どっか這ってるよ。ねぇ。怖いよ。
 返答のない胸、動く身体、羽音の居所。
 怖いよ。ねぇ。どっかに虫が、虫がおるよ!
 耳を塞ぐ。
 羽音が手のひらの向こうからも聞こえる。
 私の近くを、頭の上を、耳のそばを、飛んでいる。
 こわいよ。ねぇ、こわい。ほら!また近くでジージー言うてる!
 
 ずるりと聴覚のない効果音が聞こえたのち、私は行為の終わりを知る。
 生ぬるい温度のものが私のおへそのしたを規則的なタイミングで濡らす。
 そしてどちらの手かわからないものが、誕生したばかりの誕生することのない命を、下へ下へとねっとり塗りつけて、その濡れたところに、冷たい金属が当たる。
 羽音に似た、不愉快な音が、肌の上に触れる金属の感触と共に、手のひらの向こうから、肌の向こうから聞こえる。
 こわいよ。ねぇ、虫が怖いよ。どこにおる?今どこを飛んでるん?どこを這ってるん?
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