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イマージュ
第24章 ~ そこにいるから ~ あとがき
それ以外にミチル一人称で難しく感じたのは、彼ホントにバカなんですよね^^;
色々本を読んだりドラマとかも見てそーな佳純ちゃんと違って、語彙とかも少なそ―だし、レトリックも使いすぎると不自然になる。
私も実力があれば語彙はともかくレトリックは色々やれるんでしょうけど、力不足を感じましたね。けっこー作者に高いレベルを要求する人だったような気がします。
あと、佳純がツッコミであるのに対してボケであること。
ツッコミ一人称って読みやすいと思うんです。
読者と同じ目線でツッコミ入れてってくれますから、読者は話者が怒ったら怒ればいいし、呆れたら呆れればいい。安心して読める。
ボケだとこーはいかない。
そばにツッコミ役のキャラがいないシーンでは、読者は自分でツッコミを入れないといけない。これはけっこう疲れる。
読者というのは楽をしたいものですから、そんなこと自分で考えたくないわけです。笑う所は笑う所と書いといてほしい。泣くところは泣くところと印を打っておいてほしい。
もちろんホントにそんなことしてあったら興ざめなので、「わからないようにわかるようにしておいて欲しい」。
ツッコミ系キャラ一人称はまさにそうなので、読者はストレスなく物語を追って行ける。
ボケキャラは単独でこれはできない。
うすた京介先生の名作ギャグ漫画「セクシーコマンドー外伝・スゴいよマサルさん!」に、もしフーミンがいなかったらどうなるのかという話です。
それでも笑えるのでしょうが、ちょっと疲れる作品になってたと思います。
逆に言うと、あれだけ色々登場人物がいる作品でツッコミキャラはフーミン
一人しかいないということを考えると、ツッコミの役割とボケの役割が良くわかるのかも知れませんね。
これは読者をバカにしているわけではなく、単に自分も含めて人間ってそーいうもんだよねということ。