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ドアの隙間
第9章 ふたり
内縁の妻となった私に、優しかった夫はさらに優しくなった。

形だけでもと、小さな教会で式を挙げてくれた。 結婚指輪を交換し、誓いの言葉を述べた。 参列者は職場の店長夫妻と、由貴だけだった。

「奈津美さん、凄くきれい」

「ありがとう、由貴ちゃん」

ウェディングドレス姿の私を、由貴は泣きながら抱きしめてくれた。私達の事情を知っても、彼女は理解を示して喜んでいてくれた。

離婚後、過去を嫌って旧姓に戻らなかった私は今、夫と同じ吉村の姓を名乗っている。周囲からも夫婦として認められ、私達二人が生きていく上でなんの支障もなかった。

私は結婚指輪を胸に、これまでの人生を生き直すかのように夫に甘えた。
手を繋ぎ、腕にしがみついて困らせた。

「ははっ、子供みたいだな」

「子供はもっとゴムまりみたいに跳ねるのよ。足にまとわりついて大変、ふふっ」

「たくちゃんとかいう男の子?」

「えぇ、お母さんの事が大好きなの。うちに来る小さなお客様はみんなそうなの」

春には夜桜を楽しみ、桜吹雪の下、散る花びらに手を伸ばした。

「誕生日には何がほしい?」

「ん~、何も思い付かない。欲しいものがないって困るわね、ふふっ」

「32才か、若いな」

「あなたも若いわ、由貴ちゃんが大ファンなの。素敵な旦那様ですねっていつも言われるの」

「あはは、それは光栄です。こんなおじさんに興味をもってくれて」

夫は55才を過ぎても相変わらずダンディで、すれ違う女性の視線を浴びている。私は彼に負けないよう背筋を伸ばし、余裕の表情で街を闊歩した。
経済的な不安はなくなり、日々の生活で互いの信頼を強まっていった。性的にも満たされ、女としての自信を得て毎日を生きた。
だが、夫は食後に煙草を燻らせている。

「昇進したらストレスが増えてね」

「無理しないでね」

「あぁ、心配ない、煙草一本で済むことさ」

ベランダに足を投げだして座り、窮屈な空を見上げて煙を吐く。
私はその時間がいつも不安だった。立ち上る煙の色と同じように心が曇って揺れた。
幸せ過ぎるからだ。
幸せ過ぎて不安になるのだ。

煙草を揉み消して戻ってくる夫に「お風呂は?」と問うてみる。

「おいで、洗ってあげるよ」

彼は笑い、私を抱き上げてバスルームへ運んでくれる。

「きれいにしてあげるよ、隅々までね」


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