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あいの向こう側
第22章 悲しい夜
______『…………ぬをっ…………』

ごっそりと髪が抜けた。



左手いっぱいに、
毛の束がある。



抗がん剤治療を始めた。

吐き気がなく、
医者に「珍しいタイプだ」と言われたのが今朝。



昼食後にトイレに行き、
手を洗ったあと何気なく髪を搔いた。


____間抜けな声が出てしまった。



床にばらばらと白髪混じりの髪が散らばる。



〔お前だけ狡いなぁ〕
〔実は○デランスだろー?〕


会社の飲み会の度に同期のやつらには羨ましがられた、
剛毛といっていい髪。


早い者は30代から薄くなる。




その髪がバラバラと散らばり、
手が震えた。


よく聞くが、 
こんなに抜けるとは……………………



僕は床の髪を這いつくばって拾い、
ダストボックスに捨てた。


ふらふらと病室に戻る。



『あら、どこ行ってたの!』
嫁が振り返った。



僕は『ああ、トイレだよ』と笑って誤魔化す。

内心、サラリーマンとしての外面作りはこんな時も役に立つよなと冷笑する。


嫁はホッとしたように肩を落とし、
『これ、義兄さんからのお手紙』
とバッグから封筒を取り渡す。


『ああ、ありがとう。
兄さん、治安は大丈夫だろうか?カイロは遠いからなぁ』
ベッドに座りながら溢すと、
嫁は『もう、あなた自分の………』と言いかけて言葉を止めた。




自分の心配してよ、だろう。
分かってるよ。

『はは、分かってるよ。
亜実【あみ】と啓汰【けいた】は問題ないな?』
娘・息子ともに20代で一人暮らしをしながら働いている。自立心が高く、
高校生辺りから既に就職を見据えた進学を決めその通りに掴んで逞しく成長していた。



嫁に似て頑固だ。
そのぶんしっかり者で、
先月の家族面談の時に来て涙を堪えていた。







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